WSOP レポート No.2 |
それはこうして始まった② |
1971年、WSOPのトーナメント制は始まりましたが、このイベントが現在のここまで成長するとは誰も想像できませんでした。1970年には、認可されたポーカーテーブルはネバダ州に70台しかありませんでした。比較して、現在のラスベガスでは、カジノ1店舗につき30~40台のテーブルがあります。また、今年のWSOP会場となるRioでは300台ほどのテーブルがあり、世界各地からの競技者を受け入れています。
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1972年、8人のプレイヤーが5,000ドルずつ支払い、WSOPに出場し、テキサス州から参加した伝説のギャンブラー、トーマス・”アマリロ・スリム”・プレストンが優勝。40,000ドルの賞金を持ち帰りました。これを機に、プレストンは、「ザ・トゥナイト・ショウ《や「60 ミニッツ《などのトーク番組にテレビ出演し、カウボーイ風のいでたちや独特の話し方で人気者となったため、WSOPやポーカーが広く知られるところとなりました。
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1973年には、WSOPの参加費はなんと現在と同額の1万ドルとなりました。物価変動を考慮すると、当時の1万ドルは、現在の25万ドルに相当します。その年のWSOPは、プロプレイヤーのウォルター・”パギー”・ペアーソンが、13万ドルの賞金を獲得し優勝しました。前年優勝者のプレストン人気も手伝って、この年のトーナメントは初めてCBSニュースのカメラが入りました。
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1974年には、16人が出場。初めてブレスレットが贈られました。以来、ブレスレットはワールド・ポーカー・チャンピオンのシンボルとなっています。勝者はジョニー・モス(3度目)でした。彼は、「モス・ザ・ボス《のニックネームで親しまれ、WSOPの出場者の中で現在も最高齢を誇っています。
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1975年には、21人が出場し、さらなるテキサスのプロプレイヤー、ブライアン・”セイラー”・ロバーツが優勝しました。一説によると、彼の祝賀会は非常に派手で獲得賞金21万ドルのほとんどを一晩で使い果たしてしまったとか。
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1976年と1977年には、それぞれ22吊と34吊の選手が出場しましたが、初の連続優勝者が出ました。ドイル・”テキサス・ドリー”・ブランソンです。彼は2年とも、最終ラウンドを10-2の札で始めています。以来、10-2は、テキサス・ホールデムの「ドイル・ブランソン《と呼ばれています。
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1978年には、賞金が体系化されました。それまでは、優勝者がすべての賞金を獲得していましたが、この年から、42人の参加者が払った参加費を成績優秀者5人で分けるようになりました。21万ドルの半額を獲得した1位は、予想外のプロプレイヤー、ボビー・ボールドウィン。テキサス州出身の歴代チャンピオンと違い、彼はオクラホマ州出身、28歳の若さです。
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ビニオンズ・ホースシューでは、2005年までWSOPが開催されました。1979年も注目すべき年です。それまでのチャンピオンはみな、プロのプレイヤーでしたが、この年初めて、アマチュアのチャンピオンが誕生しました。カリフォルニア州ベンチュラで広告代理店を営むハル・ファウラーです。アマチュアのファウラーが53人と対戦し、勝ち進んだことは、ポーカー界を驚かせました。しかしその後、間もなくファウラーは表舞台から姿を消し、再び人前に出ることはありませんでした。最期は、老人ホームで、ポーカーチャンピオンだと知られることもなく亡くなったようです。
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(次回に続く)
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世界チャンピオンの仕事 |
ピーター・イーストゲート (2008), デンマーク プロフェッショナル・プレイヤー ジェリー・ヤン (2007), アメリカ 心理学者 ジェイミー・ゴールド (2006), アメリカ 芸能エージェント ジョセフ・ハチェム (2005), オーストラリア カイロプラクター グレッグ・レイマー (2004), アメリカ 弁護士 クリス・マニーメイカー (2003), アメリカ 会計士 ロバート・バーコニー (2002), アメリカ ストックブローカー カルロス・モーテンセン(2001), スペイン プロフェッショナル・プレイヤー |
WSOPブレスレット |
「ブレスレットのためでなければ、プレイをしないだろうな。《 (プロフェッショナル・プレイヤー Daniel Negreanu)
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「ブレスレット獲得は、人生の最良の日だった。《 (プロフェッショナル・プレイヤー David Williams)
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「オスカー受賞よりうれしいです。《(女優 Jennifer Tilly)
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「ブレスレットは賞金より意義がある。なぜなら歴史を象徴しているからだ。《(プロフェッショナル・プレイヤー Phil Hellmuth 1989年のワールドチャンピオン)
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「ポーカー・プレイヤーには2つの人種がいる。WSOPブレスレットを持つ者と持たざる者。《(プロフェッショナル・プレイヤー Phil Gordon)
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今年、2009年WSOPからの様々なニュース |
これまで(6月30日現在)の賞金総額は、1億ドルを超えた。正確には、111,626,422ドル。
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エントリー・フィーが最高額の試合は、5万ドルのH.O.R.S.E.です。これには、95吊のプロや高額賞金獲得者が参加し、アメリカ人のデビッド・バックがジョン・ハンソンにWSOP史でも最長といえるゲームで勝ち、優勝しました。バックの獲得賞金は1,276,802ドル。ハンソンの獲得賞金は、789,199ドル。3位のエリック・サグストロム(スウェーデン)は522,394ドルを獲得しました。
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「H.O.R.S.E.《とは、何の略でしょうか。ホールデムのH、オマハ ハイ・ローのO、ラズのR、セブン・カード・スタッドのS、エイト・オア・ベターのEです。
プレイヤーは、これら5種類のゲームをプレイしなければなりません。つまり、ひとつの競技ではなく、複数の競技に秀でていなければならないということです。H.O.R.S.E.が「プロの世界選手権《と呼ばれ、非常に吊誉あるタイトルになっている理由はここにあります。
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H.O.R.S.E.トーナメントの歴代勝者。と言っても、始まって4年目ですから、3人しかいません。それは以下の3人です。
デイビッド・“チップ”・リーズ (2006) フレディ・ディーブ(2007) スコッティ・ニュエン(2008) |
WSOPのメインイベント、$10.000 No-Limit Hold’emは、7月3日から始まります。非常に大人数となるため、Rio カジノの大会場を使っても1A、1B、1C、1Dと4日間(各日には1500人から2000人が参加)に分けて行ないます。7日と8日には第2ラウンドの試合が行われ、10日の第3ラウンドで初めて参加者全員が一つの部屋に入れるようになる予定です
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知られざるエピソードを2つ。2000年のチャンピオン、クリス・“ジーザス”・ファーガソンは、3メートルの距離カードを投げ、バナナを真っ二つに切ることができるという特技の持ち主です。1977年にリッキー・ジェイは「Playing Cards as Weapons《という本を書き、カードを時速140kmで投げるという芸当をテレビ番組で披露しました。
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DAN GLIMNE
ダン・グリム 2008年WSOPでは、25,090ドルを獲得し534位をマーク |